あまり他ではお話ししたことはないのですが、僕は社員を採用する際に簡単な作文のテストをしています。あるテーマについて、その人が仕事で使う言語を使って、文章を書いてもらいます。
最近のテーマは例えば、「Evernoteアンバサダー(親善大使)への手紙」といったものがありました。エバーノートには、Evernoteの普及促進を熱心に手伝ってくれるユーザーたちがいて、彼らをアンバサダーと呼んでいます。もしあなたが、このアンバサダーたちに感謝の気持ちをしたためるとしたら、どんな内容がふさわしいか、といった内容を提出してもらいます。
なぜこんな課題を与えるかというと、作文は書き手の性格がとてもよく理解できるんです。表現力、説明力、意気込みなど、ほんの数段落の短い文章でも、長々と口頭で面接するより、僕の場合、はるかに正確に人物を把握できます。
さらに大きいのが、文章を通じてコミュニケーション能力が分かることです。短い文章で、自分の考えを簡潔に相手に伝える。これが仕事の上では非常に大事になんですね。
どんなポストであっても、僕はコミュニケーション能力が最も重要な資質だと思っています。この能力がちょっと足りないなと少しでも感じたら、たとえ専門性、技術力があったとしても、僕は採用しないようにしています。エバーノートではコミュニケーション能力は必須です。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/NBD/20121107/239172/?ST=pc
2012年11月23日金曜日
2012年11月13日火曜日
年収の10パーセントもしくは労働時間の10パーセントを自分のビジネスの勉強に費やせ
最近、仕事で米国に行くと、こういう言葉をビジネスの現場でよく耳にします。ビジネスの知性を高めるための勉強を自らしない人は、それなりの年収しか得られないということです。
年収をアップさせて将来の不安を払拭し、ビジネスにおける自分の存在価値を高めたいなら、勉強するしかありません。これは当たり前の話で、スポーツ選手を考えてみればよく分かります。選手は持てる力の八割を練習に注ぎ込み、残る二割を試合で発揮すると言われています。ところがビジネスパーソンは試合ばかりしていて、練習が全然足りません。
そうしたことを踏まえ、欧米でもアジア諸国でも、できるビジネスパーソンは、自分を成長させるために驚くほど勉強しています。そうでなければ生き残れないことを、みんなよく知っているからです。
米国のビジネスパーソンの間では「年収の10パーセントもしくは労働時間の10パーセントを自分のビジネスの勉強に費やせ」と言われています。いくら持っていても「知性は邪魔にならない」というわけです。
ところが日本では、働き盛りの世代にアウトプット一辺倒の人が多いのです。プレイングマネジャーである課長は、意識的にインプットを増やさなければ、日々の仕事に忙殺され、アウトプットばかりになっていきます。
ある時期までは、アウトプットだけで業績を伸ばしていけます。むしろ、インプットに励んでいる同僚より良い成績をあげることもできます。しかし、すべてを出し切ったとき、もぬけの殻となってしまい、インプットを怠らなかった同僚に大差を付けられることになりかねません。
高度成長期からバブル時代までは、とにかく仕事さえやっていれば、それなりの出世ができました。年功序列で上から言われるままに動けば良かったため、インプットはさほど必要ではなかったのです。
しかし、そんな状況こそ異常です。インプットが少ない人間が脱落していく。これが世界の常識です。グローバル化が進んだ現在、日本だけ特別ということはありえません。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121108/239193/?P=7
年収をアップさせて将来の不安を払拭し、ビジネスにおける自分の存在価値を高めたいなら、勉強するしかありません。これは当たり前の話で、スポーツ選手を考えてみればよく分かります。選手は持てる力の八割を練習に注ぎ込み、残る二割を試合で発揮すると言われています。ところがビジネスパーソンは試合ばかりしていて、練習が全然足りません。
そうしたことを踏まえ、欧米でもアジア諸国でも、できるビジネスパーソンは、自分を成長させるために驚くほど勉強しています。そうでなければ生き残れないことを、みんなよく知っているからです。
米国のビジネスパーソンの間では「年収の10パーセントもしくは労働時間の10パーセントを自分のビジネスの勉強に費やせ」と言われています。いくら持っていても「知性は邪魔にならない」というわけです。
ところが日本では、働き盛りの世代にアウトプット一辺倒の人が多いのです。プレイングマネジャーである課長は、意識的にインプットを増やさなければ、日々の仕事に忙殺され、アウトプットばかりになっていきます。
ある時期までは、アウトプットだけで業績を伸ばしていけます。むしろ、インプットに励んでいる同僚より良い成績をあげることもできます。しかし、すべてを出し切ったとき、もぬけの殻となってしまい、インプットを怠らなかった同僚に大差を付けられることになりかねません。
高度成長期からバブル時代までは、とにかく仕事さえやっていれば、それなりの出世ができました。年功序列で上から言われるままに動けば良かったため、インプットはさほど必要ではなかったのです。
しかし、そんな状況こそ異常です。インプットが少ない人間が脱落していく。これが世界の常識です。グローバル化が進んだ現在、日本だけ特別ということはありえません。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121108/239193/?P=7
2012年11月6日火曜日
偏見をプライドという言葉に置き換える滑稽さ
「プライドがどうだ」とか懸念することは、すなわち自分自身がその集団に偏見を持っていることにほかならない。その自分の持つ偏見を、プライドなんて耳当たりのよさそうな言葉に言い換えることほど滑稽なことはない。かっこ悪い。申し訳ないけど、私にはそういうふうにしか思えないのである。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20121029/238691/?P=5
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