2013年8月22日木曜日

退蔵益(退蔵益というのは、商品やサービスを買ったものの利用せずに返金もしなかったときに生ずる利益のことである)

http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/165/165058/

人は立場によってモノの見方が変わるという本当にいい例だと思う。その人は、「テレビ局にとっては“真剣には見ていないとき”がテレビの理想なんですよ」と言ってのけたのだ。テレビに見入っているときはCMが邪魔になる。好きな番組は録画してCMスキップされてしまう。「甲子園球場名物のカレー屋では阪神が頑張るとカレーが売れない」というような構造のお話。その点、誰もまじめに見ていないときのテレビは、家庭の真ん中にドンとかまえた巨大な広告塔、いまの言葉で言えばデジタルサイネージ。最近のテレビは大きいから、渋谷駅前の交差点に座って生活している感じになってくる。

 そこで繰り返し流されるトヨタや花王のコマーシャル(広告量が多いので例としてあげさせてもらいました)によって、商品名を覚えて、イメージが作り上げられて消費につながる。広告代理店も、広告主も、テレビ局も、日本経済も大ハッピーとなる。まさにビジネスモデルの視点だけから言えば理想のテレビではないか。

 ところで、これを先週ある新聞社の方にしたら「新聞もそうですよ」とあっさり言われてしまった。日本の新聞は宅配なので下手に真剣に読まれるよりなんとなく届いていて、なんとなく読まれたりするのがよいのだそうな。いちばんいいのは、奥さんがチラシ広告だけ床に広げてシッカリ読み込んでいるような状態。これって、要するにメディアに対価は支払っているけど消費はされていない、いわば“メディアの退蔵益(たいぞうえき)とでもいうべきものだろう(退蔵益というのは、商品やサービスを買ったものの利用せずに返金もしなかったときに生ずる利益のことである)。

0 件のコメント:

コメントを投稿