2013年9月7日土曜日

「グローバル化」と「デジタル化」の衝撃 "ゆでガエル"と化した日本企業

"ゆでガエル"と化した日本企業

http://bizgate.nikkei.co.jp/article/4040614_2.html

熱いお湯にカエルをいきなり入れると、驚いて飛び跳ねて逃げていくのに対し、常温の水にカエルを入れて、少しずつその水を熱しても、カエルは逃げない。徐々に水が熱くなっているのを知覚できないまま、熱湯になったときには逃げる力を失い、そのままゆで上げられてしまうといわれている。世界が大きく変化する中で「ゆでガエル」になってしまっているのが、まさしく今の日本企業の姿だろう。

なぜサムスンにこれほど水をあけられてしまったのか

 「技術立国」「ものづくり大国」などと言われてきた日本だが、その製品が世界市場を席捲したのは、もはや過去の話だ。半導体、薄型テレビ、携帯電話といったハイテク関連製品でさえ、世界市場における日本企業のシェアは低迷の一途をたどっている。



 こうした危機の根本にある問題は何も変わっていないのに、アベノミクスに乗じてヘッジファンドが演出した円安期待に舞い上がり、目先の相場変動に一喜一憂している様は、筆者の目には非常に危うく映る。
 日本勢の劣勢については、これまでもたびたび「円高ウォン安」がやり玉に挙げられてきた。しかし、日本企業が競争力を失った根本的な原因は円高にあるわけではない。サムスンといえども、主要な電子部品や素材は、いまでもその多くを日本の中間財メーカーから調達している。円高になるとコスト高になって困るのは、むしろサムスンのほうだ。
 よく「諸外国に比べ高すぎる」といわれる法人税についても同様で、法人税の高さが問題になるのは日本国内で生産する場合だけだ。海外で生産活動を行うときは、その国で同じ条件下で競争しているのであって、日本の法人税は日本企業が進出先で勝てない理由にはならない。そもそも為替相場や税制は企業には決められないものなのだから、どう動いても対応できるような体勢を備えておくのが、経営の役割というものだろう。

「グローバル化」と「デジタル化」の衝撃

 ではなぜ、日本企業はこのような苦境に陥ってしまったのか。それは、この十数年間、「グローバル化」と「デジタル化」によって、ものづくりをめぐる環境が大きく変化したにもかかわらず、日本企業がその現実を直視せず、きちんと対処してこなかったからにほかならない。
 2000年頃から始まったグローバリゼーション以前は、ものづくりは先進国だけを相手にしていれば成り立った。しかし、グローバル化が進展する中で、日本が生産拠点としかみていなかった新興国は、ハイテク製品をつくる生産国になり、さらに消費国、そして世界の成長センターへと変わっていった。それなのに多くの日本企業は「新興国は安い労働コストでつくるための工場」という考えから抜け出せず、将来性豊かな巨大市場に向けた戦略を練ることを怠った。
 軌を一にして、「デジタル化」に伴い、ものづくりに劇的な変化が生まれた。部品やモジュールを独自設計し、現場で調整を重ねながら独自に高品質の製品をつくり上げていく「アナログものづくり」の時代は、経験豊かな技術者を抱える日本企業の独壇場だった。しかし、デジタルものづくりの時代になると、「製品のモジュール化(個々の部品ではなく、標準化された部品群の組み合わせで開発や製造を考える発想)」が進み、業界の先駆者ならずとも、どの国のどのメーカーでも、従来に比べれば容易にハイテク製品をつくることができるようになった。
 「オンリーワン」を標榜したシャープをはじめ、日本企業が高度な技術をブラックボックス化している間に、デジタル情報をうまく使って汎用性のある部品を組み合わせ、魅力的な商品を素早く量産化したサムスンやアップルが、市場を制するようになったのだ。にもかかわらず、いまだに「海外の進出先で日本式のものづくりをどうやって定着させるか」などと相談されることが多い現状には、驚くばかりだ。


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